キリスト教の正典と外典の違い
なんだかありすぎて混乱している人、
必見です。
旧約聖書
宗教改革以前のキリスト教会には、旧約聖書の正典・外典という区別はなかった。伝統的キリスト教会は、ヤムニア会議以前に成立した古代ギリシャ語訳の七十人訳聖書、ないしその翻訳を旧約聖書の正典としていた。マルティン・ルターがヘブライ語本文から聖書を訳した際に、ヤムニア会議の定めたテキストと、カトリックが使っていたラテン語聖書との異同に気付いた。ルターはこれを外典と位置付けた。キリスト教における旧約聖書の正典・外典の位置づけは諸教派により異なっている。(旧約聖書の項に詳述)
新約聖書
新約聖書の正典の選択は、古代教会の自己規定の確立と連動するかたちで確定していった。一般に正典の基準として以下の四つの基準がよくあげられる。
使徒に由来するものであること
ある地方にとどまらず、広く教会全体で受け入れられていること
典礼において用いられてきたものであること
内容が正統信仰と整合性を保っていること
歴史的には2世紀にマルキオンが独自の視点から旧約聖書を排除し、聖書の「正典」を編纂した。このため、マルキオン派など異端への対抗上、キリスト教正統派における「正典」を決める必要が生じ、教会内での議論を経て、367年にアタナシオスの書簡において、初めて27文書が選択された。この基準は397年のカルタゴ会議において正式に承認されている。
東方教会では10世紀までに事実上正典が確定している(東方教会で最終的な決定と認められるための条件である世界公会議での議決は受けていないため教会法的には未だ未確定との立場もありうる)。東方教会で最後まで扱いが議論されたのはヨハネの黙示録であったが、西方で支持されたこの文書は最終的に東方でも正典と認められた。西方では、ルターの宗教改革の影響で、16世紀から17世紀にかけて、正典の公式な定義が行われた。カトリック教会では1546年のトリエント公会議において聖書の正典・外典の定義が再確認された。プロテスタント教会でも17世紀の中盤に同じ27文書を正典と認めている。
なお、新約聖書外典の中には、トマスによる福音書のように異端であるグノーシス主義の思想が見られるものや、ヤコブ原福音書、トマスによるイエスの幼児物語など四福音書に書かれていないイエス誕生前のマリアやイエスの幼少時を記していて、カトリックの教説に取り入れられたものもある。
また、新約聖書に入らなかった文書のうち、内容に問題はなく使徒の著作でないことのみが問題とされた使徒の弟子(「使徒教父」とよばれる。)による文書は使徒教父文書と呼ばれる。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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